北海道胆振東部地震で学んだこと

やまだやまだ

 掲載日:2018.09.10

この度、9月6日未明の北海道胆振東部地震により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

私も千歳在住のため、地震発生時は震度6弱の揺れに襲われました。
ドーンドーンという音と突き上げるような縦揺れの後、激しい横揺れが続きました。
時刻は午前3時9分、半分寝ていましたが、慌てて飛び起きました。
寝ぼけ眼でも「地震のときは机の下に」という小さな頃からの教えは忘れないようで、とりあえずテーブルの下にもぐり、揺れが収まるのを待ちました。
途中で電気が消え、作業の途中だったノートPCの明かりだけが残ったのが印象的だったのを覚えています。

揺れが収まった後、一度電気が戻ったのですぐにテレビをつけると、地震直後の苫小牧の様子が映っており、安平町で震度6強、千歳で震度6弱、札幌で震度5強と伝えていました。
幸い私の家の被害はジュースの瓶と貯金箱が割れた程度と分かり、掃除機をかけようとしたところ停電・・。
そこからはニュースでも報道されていた通り、北海道全体が大停電になりました。

私の家のあたりの電気が復旧したのは7日の夜。約2日、電気がなかったことになります。
電気以外のインフラ、水とガスは問題なかったのですが、やはり電気がないと大変不便でした。


まずお湯が出ない。

私の家はガス給湯器ですが、ガスを制御するのには電気が必要です。
電気の復旧の見込みがなかったため、一度は水のシャワーを浴びました。
ドライヤーももちろん使えないので、タオルでよくふき取りましたが・・寒い時期でなくてよかったとしみじみ思いました。


そして情報がうまく入手できない。

停電が関係あるのかは不明ですが、6日の昼頃から、携帯のネット回線もほとんど繋がらなくなってしまいました。
地震発生直後はスマホを使って会社のスタッフや両親、友人たちとやりとりをし、停電時に自動で流れるトイレを流すのにはどうすればいいか・・
なんてことを検索したりもしていましたが、約1日の間、それができなくなってしまいました。
ついていないことに、ちょうど車のガソリンもエンプティマークが点くくらいしか入っておらず、近くのガソリンスタンドも停電で給油不可。
夫も同じような状況で、情報源はラジオのみ・・。

 

途方に暮れました。

結局、連絡がつかない私を心配した会社のスタッフが家まで迎えに来てくれて、お仕事をさせていただいている公共施設の電気とネット回線をお借りすることができ、なんとか状況を打破することができました。


さて、今回の北海道胆振東部地震と東日本大震災を経験して思うことは・・
(実は私は東日本大震災も東京で被災し、帰宅難民になっています)

被災時に大切なのは、

①正しい情報を入手する手段を持つこと
②日頃から災害に備えて準備をしておくこと
③被災した後はなるべく日常に戻れるよう努力すること

この3つだと思います。

“①正しい情報を入手する手段を持つこと”について、
被災時は、情報がないと不安になります。
今回の場合、ドコモ、au、ソフトバンクの3キャリアの携帯は、繋がりにくい状況の中でもネット回線への接続が可能でした。
しかし・・いわゆる格安SIM、MVNOの場合、電話もネットも全く繋がらないという状況が長く続きました。
値段が安い理由を痛感した数日となりました。


“②日頃から災害に備えて準備をしておくこと”について、
東日本大震災の教訓から、手巻きラジオや非常用持ち出し袋、保存用の水などは準備していたのですが・・。
非常用持ち出し袋に入っている電池はすでに放電してしまっており使えないし、保存用の水も賞味期限ギリギリ・・。
東日本大震災の後、あんなに防災について考えたはずなのに、いざ日常に戻ると気に留めなくなってしまうものなのだと思いました。
ちなみに、ラジオは手巻きとソーラー電池が使えた他、家の隣のホームセンターで運よく電池が買えたので大変重宝しました。
非常用持ち出し袋は数か月に一度は中身の確認をしなければいけません。
そしてガソリンも、エンプティ点灯まで走ってはいけませんね・・。


そして“③被災した後はなるべく日常に戻れるよう努力すること”について、
これは今回、停電以外の復旧が早かったからできたことでもありますが、「非日常」の中に身を置いていると、様々な感覚がおかしくなってきます。
私も会社のスタッフが家に来てくれるまでは、やたらと不安になって、精神状態が不安定になりました。
いつも通りPCに向かって仕事を始めると、頭がクリアになり、思考力も戻ってきました。
余震が続いたりと、完全にいつも通りではありませんが、なるべくいつも通りの生活を送る努力をすることは大切だと思いました。


それにしても・・。
今回の地震で本当に思ったのは、「冬でなくて良かった」ということ。
北海道の冬は寒いときでは氷点下20度以下になる日もあります。
おそらくこの地震がそんなときに起こっていたら、被害はもっと甚大になっていたことでしょう。
厚真では多くの方が亡くなり、むかわや安平、札幌の一部では道路や建物に大きな被害がでており心が痛むばかりですが、いずれは起きる地震であったとするならば、この時季に起きたのはせめてもの救いだった。
そう思わずにはいられません。

被災地の一日も早い復興をお祈りしております。

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